エンターテイメントという麻薬 宮崎駿作品の本当の凄みとは

アダルトビデオと恋愛ドラマの弊害についてはもうTwitterで語りつくした感がある。

アダルトビデオは男性向けの麻薬であり恋愛ドラマは女性向けの麻薬だ。どちらも双方に都合のいい部分しか切り取って見せない。現実のセックスや恋愛はもっとグロいもので味や臭いもつきまとう物だけど当然モニター越しだとその生臭さは伝わることはない。

綺麗にラッピングされひたすら消費されていくアダルトビデオと恋愛という麻薬。

それらはあくまで麻薬でありどこまでもヴァーチャルな快楽なので本当の幸福感を得られることはない。麻薬はどれも同じだけどやがて耐性がついてしまいそして依存性が生じる。

より過激な快感を求めるようになっていきりその量が多くなっていく。その先にあるのは廃人。

例えばアダルトビデオであれば実際の女性では興奮できなくなる男性であったり、恋愛であればリアルの男性に恋心が抱けなくなる亡霊のような女性になってしまう。ヴァーチャルが魅せる「人形」を「人間」と錯覚して生きていかなければならなくなる。

アダルトビデオと恋愛ドラマの有害性はこんな感じだと思うけど今回はアニメや映画などのエンターテイメントについ書いてみようと思う。まるで違うカルチャーのようで骨格はどれも変わらない。

夏と言えばテレビではジブリ作品が放映される。

子供の頃は俺はジブリ作品が大好きだった。アニメや映画が好きでかじりつくように見ていた。そしてそれらのファンタジーには奇妙とも言える共通項があった。

ヒット作はどれも一見感動するようなストーリーだけどその内容は金満家や権力者が地獄に落ちて貧民が打ち勝つというものが多い。こんなストーリーのアニメや映画が腐るほどある。

金を求める人間は滅びて朽ち果ててやがて天罰が当たる。そして地道に働く労働者は報われる。

「天空の城ラピュタ」や「千と千尋の神隠し」はまさにそれだ。

でも現実はそうだろうか?真面目に薄給で働く労働者は果たしてアニメや映画の中の主人公のように報われるのか?よほどおめでたい人間や幼児でもない限りそれは間違いだと言うことがわかると思う。

人生は金が重要。

もっとも大金持ちである必要はないとは思うけど、しかしアニメの主人公のような極端に貧困で愚直な人間が報われるとはとても思えない。

その貧困主義、反商業主義なあまりにも現実離れしたカルチャーが人間に与える影響は大きいんじゃないかと思う。アダルトビデオや女の子向け恋愛ドラマとその根底の理屈は同じであくまでファンタジーだということ。

「ジュラシックパーク」という大ヒット映画。この夏にテレビ公開されるようだ。

https://kinro.jointv.jp/lineup/20170804

これも典型的な金満家と商業主義への強烈なアンチテーゼだ。金儲けに利用されている恐竜がやがて反乱を起こす。まるで資本家に搾取され鍛え抜かれた肉体を持つ労働者に似てる。

パーク内にいる恐竜が反乱を起こして最初に食われるのは「ヒルのような弁護士」だ。恐竜を利用した金儲けしか頭にない弁護士が頭からガブっと恐竜に食われるシーンな強烈。

「ジュラシックパーク」の象徴的なシーンであると思う。

しかし現実の世界では弁護士は勝ち組だというパラドックスがある。

さんざんこの「金儲け主義者は悪で貧困者は正義」という映画やアニメを見なれるとそこにはもしかすると悪影響があるような気がしてならない。アダルトビデオと恋愛ドラマと全く同じ害がそこに存在するという仮説。

現実では金持ちは幸福であり貧困者は不幸。

その現実を子供はいつか突きつけられることになる。

なぜこのような仮想現実嘘っぱちのエンターテイメントが世の中にあふれてるのかと言えばそれはただ単に金になるからだろう。

アニメや映画の多くは皮肉にも劇中で「お金」を否定してるがその映画は大ヒットして「お金」を儲けまくっているという矛盾がある。

大局的な視点から見ればそのグロテスクな集金システムの異様な光景が見えてぞっとすると思う。

多くの人には大局的な視点がないのでその光景が見えていない。多くの人はみな近視眼的だ。

ネットナンパにも通じるけど近距離でなく遠距離から物事を見るというのは重要だと俺は思う。

なんじゃそら!宮崎駿監督作品のジンクス「のの法則」

https://matome.naver.jp/odai/2135479512410790201

宮崎駿作品のタイトルには「の」がやたら多い。「風の谷のナウシカ」とか「もののけ姫」とか。その理由をテレビで「ヒットするから」と当人は語っていた。

ヒットするから=売れるから

宮崎駿のタイトルへのこだわりは「売れること」という理由がそこにはあった。これを俺は偶然テレビで見たけどもしそれを見てなかったら永遠にわかってなかったかもしれない。

「の」に普通注目しない。多くの観客もそうだと思う。

のロジック。のメソッド。の理論。

多くの人が無意識のうちに通り過ぎていってしまうタイトルにそこまでの理由が隠されていた。そしてなぜ「の」が売れるのかはさっぱりわからない。そこに理路整然として理屈がもしかしたら隠されているのかもしれないが俺には不明だ。

・・こんな感じでおそらく宮崎駿作品には膨大な一般の人間には意識が出来ない仕掛けが数多く隠されているのかもしれない。

それは無意識に直接働きかけるものであり常人には到底意識できない。

感動であったり驚きであったり不思議な吸引力としてそれが多くの人間の心を魅了する。

「の」の法則のような戦略的な理論を持っているのかもしれない。だからほぼ意図的と言っていいほどヒット作が量産できる。

これはヒットメーカーにしかわからない魔法だろう。

具体的に「の」をタイトルに入れるとなぜヒットするのか聞いたことがないし当人もそのロジックは墓場まで持っていくのかもしれない。

ただ魅力的な作品であるけどもそれに違和感を覚えるのはやはり作品内の価値観(貧困の美化、労働者階級賛美)との大いなる矛盾であると思う。

金をすさまじく稼いでるのに金儲けを否定するという矛盾。

そしてその大いなる矛盾の存在に気がつかせない作品の魅力。

多くの観客はまるで心地よい催眠術にでもかかっているようにも俺には見える。

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