映画「タイタニック」にみるデカ尻女の恐怖

デカ尻女とは?

子供や病人や老人など弱者を押しのけて弱者席に勇ましくデカ尻で座る図太い女の略称。

映画「タイタニック」は全世界で空前のヒットを記録した人気作品だ。誰もが見たことはあると思う。俺は恋愛映画は興味がないんだけどタイタニック沈没という事件に興味があったので見た記憶がある。

ストーリーは事前にだいたい知っていたので、それに関しては真新しい発見はなかったんだけども、気になったのは救出される際の男女の扱いだった。「英国紳士」なんて言葉があるけども数少ない救命ボートの座席は女優先が徹底されていた。

女を優先的に救命ボートに乗せる。劇中のその光景は俺には異様に映った。

バカマッチョらしき男が救命ボートに乗ろうとしてる男を恫喝?はたまたぶん殴っていたような記憶がある。ここまでくると狂気だ。バカマッチョというのは「女を守るという自分に陶酔している勃起男」のことで彼もまた倒錯した世界の住人だ。

バカマッチョが女を守る動機は「女への性欲」や「男への憎しみ」で低俗な欲望の発散でしかない。喜々として男に暴力をふるう男はたまにいるが「正義」の名を借りると暴力を思う存分ふるうことができる。

実に歪な光景であると思う。

時代やイギリスというお国柄のせいなのか劇中では「女を優先的に救命ボートに乗せる」という作業が続く。

デカ尻のおばさんがボートに乗る光景は滑稽だ。どうみても弱者には見えない。

老人は病人や子供は弱者だが健康な女は「普通の人間」だ。健康な女は健康な男と同等に扱えばいい。

女は長寿なので下手すると男よりも災害時の生存率が高いかもしれない。(接種カロリーが少なくて済む)

この思想こそ男女平等でありフェミニズムの精神にのっとっていると思うんだけど、なぜかこう言うと非難ごうごうだ。

「女は弱者なの!大事に扱うのが男でしょ!女が優先なのは当たり前じゃないの!」なんて大合唱だ。そういう思想が現代の女の根底にあるからこの映画が大ヒットしたんだろうとも思う。

「女は弱者として扱え!でも下には絶対にみるなよ!男女対等だからな!でも緊急時は女優先だから!」という恐ろしい脅迫すら俺は感じる。

弱者という名の強者。それが現代のデカ尻女だ。

デカ尻女たちはドレス姿で救命ボートに乗り込み、船に残された男たちは凍えた海に放り出され死んでいく。

クライマックスのシーンで船が沈みそうになり甲板から男たちがすべり落ちていって海に投げ出される光景はまるで「ゴミ」が捨てられるように見えた。

女は神(カミ)で男はゴミ。

「タイタニック」はそんな女尊男卑映画だと言える。この「女の命は男の命より重い」という辛辣なテーマは現代人にも通じるだろう。

男が死んでもたいして報道されないが女(特に若い女)が死ぬと国の一大事のように連日報道される。

ラストはディカプリオが身を犠牲にして助けた女が老婆となって出てくる。

「女は秘密をもっているものなのよ。むふふ」とニッコリとほほ笑む。

それを見て俺はぞっとしたもんだ。

ディカプリオが身を犠牲にして助けたヒロインはその後結婚したようだ。そこにまた女の「怖さ」を感じたものだ。

男の死を踏み台にして幸せになるという女の冷淡さ。そしてきっちりと長寿もキープしてる。

好きだった男に助けられ、その男のことが忘れられずにずっと独身を貫き老婆になる・・それなら「美談」としてわからなくもないけどちゃっかり結婚してる。

そんな美学は女にはなかった。

男女平等、フェミニズムというよりも「女をお姫様扱いして欲しい!」そんな女の熱烈なニーズに答えた映画が「タイタニック」なのかもしれない。

女のお姫様化は年々ひどくなっていく。男への要求はまるで下僕と姫のようにエスカレートしている。

女のケツを舐める。這いつくばり、媚びへつらい、命を削り、女に貢ぐ。それが現代の男に課せられた重い十字架だ。

男は努力を怠るとあっという間に転落してしまう。それこそこの映画のように二度と戻ってこれない極寒の海に放りだされるのと同じだ。男は男を助けないし女は男なんて助けない。男へのセーフティネットなんてどこを見渡しても見当たらないのだ。

冷たい海に投げ出されないように男は自衛し知恵を絞って生きなければならない厳しい時代だと思う。

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