中学生プロ棋士・藤井聡太四段連勝 語られることのない男女のエゲつない能力差

藤井四段の快進撃が続いてる。連日のようにニュースで報じられてるので将棋ファンでなくてもこの天才中学生棋士の名前は見たことがあると思う。14歳の少年があの羽生棋士を倒し連勝記録が続いている。

将棋というゲームは運が介在しない完全な知能での勝負。平等な戦場だ。

運もコネも性別もコミュ力も関係がない。純粋に頭のいい人間が勝つ。

こんなノイズのない「平等な戦場」はなかなかないように思う。だから中学生が大棋士羽生に勝つことができる。

将棋の世界は実にストイックでシビアだ。

ただ「思いやり」も「手加減」もないこういうストイックな世界だと男女の能力差が浮き彫りになり決定的に開いてしまう。将棋界には女性の棋士が実は一人もいない。

これは意外に思う人も多いかもしれない。女流棋士という肩書でテレビに出て解説してる女性がいるのでそれを「棋士」と勘違いしてる人が多いように思う。

女流棋士は正確には将棋のプロ棋士ではない。将棋は奨励会というプロ育成機関を突破して初めてプロ棋士になれるんだけど性別による規制はそこにはなく女性も参加できる。

ただプロ育成機関を突破できた女性が一人もいない。

プロスポーツが男女で分けられているようなもので男女混合だと頭角を現す女性がいなくなってしまう。だから女流棋士という別枠が設けられている。

しかしこの女流棋士という紛らわしい肩書は俺には女性への配慮にも見える。

運が介在しない実力だけの世界だと男女間には決定来な差が生まれてしまう。

男女のエゲつない能力差がむき出しになる。

ではプロ棋士になれない女性は悲惨な末路を辿るのかというとそうではない。男性はプロ棋士になれなければただの無職だが女性は女流棋士という道があると言っていい。そして他のプロフェッショナルな分野と同じで結婚という道が残されている。

女性はなぜ将棋が弱いのか?いろんな説がある。

・女性は体力がない

・女性は将棋人口が少ないので強い棋士が現れない

・脳の能力差

「体力がない」ってのは対局に時間がかかるので体力のない女性はそのせいで差がつくという理屈。将棋を学び体得する過程でもまず体力が必要になる。

ただこの説が弱く感じるのは藤井四段が特に「体力のある男性」には見えない所。

体力が重要であるなら女性より男性が有利でしかもその男性の中でも体力のある男性がより有利になる。

体の線が細いまだ成長期の少年がガタイのいいおっさん棋士をなぎ倒して連勝していく光景を見ると、もう言うまでもなく体力はさほど関係がない。

「女性は将棋人口が少ないので強い棋士が現れない」という説の方がまだ有力かもしれない。

・・ただそれでも将棋の長い歴史で、女性の棋士がたった一人も誕生しないというのは解せない。

男女の「能力差」という見方が一番濃厚だと思う。

ただこの男女の能力差を公言するのはタブーで「女流棋士」という一見プロ棋士と間違ってしまうような存在(その誤解を生まないための説明もない)がいるというのは女性への配慮のようにも見える。

テレビ中継する時に男だらけだと画面がむさ苦しくなるので「一輪の花」という感じで女性の存在意義はあるとは思うけども、その場合の肩書は正確に言えば「アシスタント」であり棋士とはとても言えない。

「私は棋士ではないんです」と言う気概のある女性が出てきてもいいんじゃないかとすら思える。

この「女流棋士」という実に曖昧な肩書は社会の至る所に存在する女性への「思いやり」や「配慮」や「手加減」のひとつに見えてならない。

テレビで初老の男性棋士に女流棋士がボコボコに叩きのめされてる光景を見たことがある。もうすでに勝ち目のない局面で「と金」を大量に作られていた。

大量のと金作りは野球で例えるなら30対0の大差の状態でバントをしてくるような情け容赦のない攻め。勝ち目も逆転劇もありえない一方的な状態で見ているこっちが心痛な思いになった。

これでも男性棋士はフリークラス(プロ棋士の中で最弱のクラス)であり女流棋士はタイトルホルダー(女流の中での最強のクラス)だった。

これだけの実力差があるんだけど「シード」によってプロ棋戦に女流は参戦できることがある。

シードという「手加減」により参戦はできるが対局では「手加減」されないのでこのような凄惨な結果になり振るい落とされる。

将棋のように勝ち負けがはっきりしない分野や場所には「シード」によってどんどん女性が進出してきてる。シビアな勝負事ではないので実力の所在も曖昧で振るい落とされることもない。「男女は対等であり能力差なんてない!」という声が聞こえてきそうな勢いだけど将棋のような結果が露骨にわかる世界を見てみるとエゲつない能力差をはっきりと確認することが出来る。

どんな分野も実態はこの有り様で男女間には30:0くらいの実力差が本当は開いているんじゃないだろうか。ただ将棋のように勝ち負けがわからないのでそれが可視化されなくて済む。

女性の社会進出にも実はこの「手加減」や「思いやり」というコストが隠されていると思う。

実力主義である将棋の世界では藤井四段の女性版のような「中学生天才少女棋士」はおそらく未来永劫現れないだろう。

男女平等の思想は広まっても男女の能力差は縮まることはない。男女の能力は平等ではないという現実は過去も未来も変わらないまま男女平等という現実離れした思想だけは広がっていく。その歪みの先に得られるものはおそらく男の息苦しさだ…。

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